12月31日

4月に瞬の病気が判明してから約9ヶ月たった。今年1年を振り返ってみると、親子共々精神的、体力的に大変な1年だったと思う。今はただ「絶対に治る」と信じて生活している。とにかく「保存治療」を選んだのだから、やれるだけやろうという考えだ。来年はきっと良い年になると願っている。

来年に佐野厄除大師に行く予定。>厄年?だったかな

12月23日

最近、視力が多少回復してきたような気がする。ただどのくらい見えているのか良く分からない。見えている時と見えていない時があるので判断に困る。特に暗いところは見えないらしい。もう少し様子を見ることにする。

今日は少し早いクリスマスにしてしまった。前から欲しがっていたトミカの「ブルステーション」をサンタにお願いしておいた。サンタさんが願いを聞いてくれたらしく(笑)、お昼寝から覚めると枕元に大きな箱が置いてある。喜んでくれたようで凄く嬉しい。他の物には、あまり興味を示さないのだが、トミカは別だ。毎日遊んでいるはずなのに飽きないらしい。相当数も増えてきて、仕舞う場所さえ無かったりする。次はカーフェリーが欲しいとのこと。(^^;

瞬の病気に関しては、ここのところ夫婦で相談というのはしていない。とりあえず様子を見て1月7日の診察を待つことにした。今、ジタバタしたところで病気の進行を止めることは出来ないし、病気に関する不安も「保存治療」を決めた時点で覚悟していたことだからね。とにかく右目の眼底出血が引いてくれて、残っている腫瘍の治療ができることを祈っている。

12月15日

今のところ両目共、かなり低い視力のような気がするが、明るいところだと、ある程度見えている感じを受ける。ただ本人は見えないながらも、音や感触を使ってうまく生活しているようだ。視力が低いせいなのか判断できないが、音には非常に敏感でTVのCMや大人の会話を聞いて、すぐに覚えてしまう。どうしてそんなこと覚えているの?という言葉もしっかり記憶していたりするから驚く。

右目の眼底出血が一向に引く気配を見せないということを考えてみた。前にも書いたが、瞬の癖で(癖になってしまった)指しゃぶりをする時に人差し指で右目をグリグリ押してしまう。相当、力が入っているのは見て分かるので、もしかしたらこれが原因かも...という結論に達した。こうなると少し可愛そうだけど我慢してもらうことにして、指が右目に行く度に注意することにした。相当ストレスになることは分かっているが、もし眼底出血の原因が「グリグリ」であったなら、右目を守るためにも、止めさせなければならないと思った。最近は良く話も分かるようになってきたので、徐々に病気について簡単に話しかけるようにしている。本人も自分の目が悪いということが分かっているらしく、「うん、うん」と話を聞いているが、理解しているかどうかは不明。(^^;

右目の摘出に関しては、今は考えが纏まって、「もう少し頑張ろう」と思う。ただ転移の心配はある。これは保存療法を選択した時から付いて回ることなので今更、転移の心配をしても仕方の無いところだと思う。確かに右目の眼底が見えない状況で保存して行くことは危険なのは理解しているし、命を危険にさらしていることも理解している。もう少し右目の様子を見ようと思ったのも、実際に左目の視力がどのくらいあるのか不明なことにある。今ある視力はあまり見えないながらも右目の多少残っている視力を使って見ているのかも知れない。もし右目を摘出して、本当は左目が見えていなかったとなると...。良く先生と相談して、今後のことを考えていく必要がある。

「危険な状態で目を残す必要があるのか」「子供の命を危険にさらしていいのか」という声を頂いてしまうかも知れないけれど、瞬の場合は両眼性なので、現段階で転移していないということを前提にすると両目を摘出しなければ命の危険性、転移の心配は取り切れないことになる。右目を摘出して、病理検査で転移無しと判断されたとして、もし左目の治療経過が悪く、左目も摘出となってしまった時、後悔せずに左目の摘出に望めるかとなると、今は後悔しないとは言えない。

未だにどの方法を選ぶことが瞬にとって一番なのか分からない...。一人で考えている時は、摘出を考えるならば早い段階で...と思っているのだが、無邪気に遊んでいる瞬を見ていると辛くなってくる...。

12月9日

診察で左目は「悪い症状は出ていない」とだけ告げられた。昨日の治療での「悪い症状」という意味らしい。CTの写真を見せてもらい説明を受けたが、今のところ悪くなっている様子は無いと言う。強膜も綺麗だし、暫く様子を見ましょうと言われる。「ただ不安なようでしたら摘出も可能ですが、見える方の目ですから...」と告げられる。

右目の摘出は考えている。このまま眼底が見えない状態で治療も出来ない状況が危険なことも分かっている。同じ病棟で網膜芽細胞腫の転移が原因で全身治療をしている子供さんも見てきているので不安は多い。先生の話を「まだ様子を見られる状況にある」と判断しても良いものなのか...。気持ちの中で葛藤が続く。もう眼底が見えない状態になってから2ヶ月。夫婦で納得できるまで話し合い、今後の治療を考えて行こうと思う。

次の診察は1月7日。新棟での診察になる。今はこの時の右目の状態によって摘出をお願いしようと思っている。やはり視力が残っていた方の目とは言え、残しておくことにより命に関わる状況や厳しい全身治療をさせる状況にはさせたくない。もうどう考えて良いのかパニックになりそう...。

12月8日

治療は14時くらいからとのことで、それまで厳しい時間になる。水分は9時までだったので、治療終了まで食事、水分は一切取れないことになる。他の子供に看護婦さんが「ご飯食べよう」「ジュース飲もう」「おやつ食べよう」とか言ったら最後、瞬も欲しがってしまうのだ。ずっと泣き喚き、昼寝が出来ないと同じ部屋の子に怒られる。(^^;

14時半手術室入り、16時回復室。左目のレーザー治療のみだったので予想外に早く終わった。回復室に行くと、もう麻酔が切れていて叫んでいる。この後、CTを撮って、部屋に戻る。

眼球内の写真は時間が無く、撮れなかったとのこと。(今日だけで4人治療があった)左目には予定通りレーザーを当てた。しかし反応があまり出なかったので、眼動注の追加治療が必要だろうとのこと。右目はやはり眼底が見えない状態。CTの結果で今後の治療を話し合いましょうとのことだった。この時、もう一度、「眼球移植」について聞いてみた。「角膜の移植は可能だが、現在の医療技術を持ってしても眼球移植は不可能」とのこと。

20時になったので水分を与えられるようになる。ポカリスエットをガブガブ飲む。回復室から戻って来て、ずっとジュース、ごはん食べるを連呼していたので、余程喉が乾いていたはずだ。体温は38度と高く、麻酔科の先生の話では水分が不足して熱が高いのだろうとのこと。点滴を入れる時間も遅かったし、本人はかなり辛かったはずだ。直ぐにご飯を鱈腹食べる。「大丈夫なのか?」というほど食べる。もう他のご両親も帰ってしまっていたので、看護婦に「ご飯が終わったら、今日はそろそろ...」と言われ帰宅することになった。看護婦に抱かれて「ママ〜、ママ〜」と泣いている。ママが病棟から出ると「ネンコする」とか聞こえたので諦めたようだ。(^^;

12月7日

左目の治療のため入院。眼科の診察は先週見ているので無し。治療の説明等で終わる。ここで診察室に今までとは違った空気が漂う。眼底検査をやらなかった瞬は、先生の説明を聞いている最中に「鼻歌」を歌い出した。看護婦さんも笑ってしまい、金子先生も笑顔で「元気がいいな」と。今までこんな穏やかな空気になったことは無かったので、徐々に先生とも打ち解けてきているのかなぁと思えた。

治療については左目のみ。軟らかい腫瘍にレーザー(光凝固)を当てるとのこと。右目は通常の眼底検査では全く見えない状態なので全身麻酔が掛かっている時に詳しく見るとのことでした。CTも手術日に行うことになる。

12月2日

風邪で寝こんでいたため、ママと家のばあちゃんに付き添ってもらい検診。左目は再発しそうなところがあるので、残っている残存腫瘍と共にレーザーを当てるということ。右目に関しては未だに眼底が見えない状態で、腫瘍の動きが分からないため、7日の入院の際にCTを撮って確認するとのこと。

経過としては左右の状況が逆転してしまった感じがする。このまま出血が引くのを待つのが良いのか、摘出をしたほうが良いのか決断する時なのかも知れない。ただ良かったと思えることは、右目に出血が起きる前は、左目は殆ど見えていない状況だったわけで、右目の視力低下に伴いあまり使われなかった左目を自然と使うようになったことで左目の視力がある程度回復してきたということだ。これで両目とも視力があまり無い状況で摘出を考えなくてはならないより、少なくても片目の視力は多少でも残っているということ、命を守ることを優先するとすれば、眼球を危険な状態で残しておくより摘出して詳しい検査をしたほうが良いのかも知れない。

親として摘出は簡単に選択できないのも事実。夫婦、家族、医師と良く相談して考えていこうと思う。まずは7日に先生に今後予測できることを聞いてみて、後悔することのない治療を選んでやろうと思う。